山師はどこへ行ったのか?
川原イチトクです。2022/4/21の日経新聞の夕刊で、桜木紫乃さんのエッセー「老いては、プライドに従え 小説家 桜木紫乃」を読んで考えました。
桜木紫乃さんのお父様のお話で、”山師”を話題にあげていました。大変興味深かったです。
ちなみに、私の父親は「山っ気はあったが人に引きずられやすい」そうです。(母曰く)
なんでも若いころ、仲間内と家電商品を月賦販売して儲けを画策して頓挫、先物取引で頓挫、といったことがあったとか。友人に引きずられるかたちでお金を失ったようです。
当の本人は、最近とみに認知機能が衰えてきて山っ気は殆どありませんが。
いまどきの山師ってどんな人だろう?
怪しい商売は論外です。ならば投機やベンチャー? 投機という観点で思い浮かぶのが仮想通貨、NFT。ちょいと前ならFX(今でもか)。とはいえ、まぁサテライト投資など自分の意思で判断して投資している人すべてが山師ってわけでもないでしょう。これらに”一攫千金”と”熱狂”が加わると山師といえるのではないかと。
ベンチャーも社会を良くしようという熱狂、熱情がないと前進できない気がする。
山師が表に出ると山師とは呼ばれなくなるのではないか?
山師がSNSで熱情を発信したら、それは山師なんでしょうか? そうではなく、(少し胡散臭いけど)ポジティブに受け止められる可能性があると思います。メディアに時代の寵児として取り上げられたケースもあると思います。個人的に「これって昭和だったら山師じゃない?(で、いつの間にか消える)」と感じるパターンも見受けられました。(具体例をあげる勇気はありません。)
とはいえ、あまり自分の人生に関わってほしくない
山師的?山っ気のある人?には巻き込まれるたくないですね…。自分の父親がそうだったくせに、という感じですが、父は人に引きずられて一時的に熱狂していたと考えています。本当の山師というのは、情熱は語るが、人への共感性がない人なのでは(と決めつけ)。その情熱に対峙したときは、金融商品と同じ判断軸「自分で理解できないものには手を出さない」で臨みたいと思います。それでもFPか、一度きりの人生、実体験なしで人に投資を語るのか、と言われても、一度きりの人生だから大きな失敗をしたくない、と考えて胸をはるのもいいんじゃないと考える今日この頃です。